地元の小・中学校人権同和教育研修会で、参加されていた行政職の方が、会場の教職員に次のように問われました。
「部落ってどこにあるの?と、子どもから聞かれました。興味本位なら、それは教えられないことだと返答しました。」
「行政職の立場で、人権教育に関わってきたので、それなりに答えられたのだと思います。けれども一般のみなさんが、子どもさんに尋ねられたらどうでしょうか?」
「先生は、生徒たちに教えたことが家庭で、どのように伝わっているのかを、考えたことがありますか?」
この子どもさんがいる中学校では、特別に部落問題学習をしたり、「立場宣言」をしたりはしていません。教育課程に位置づけられた、日本全国どこの小学校(6年)でも中学校(1・2年)でも行われている社会科・歴史学習で、子どもたちが何気なく感じている疑問です。「どこに部落があるの?」は。
この疑問に、学校現場が慎重になり過ぎるあまり、「部落問題学習そのものをしない」という声さえ聞きます。特別に部落問題学習をせずとも、子どもたちはそのことを知り、疑問をもつのです。ある意味、自然なことです。不自然なわたしたち教員の反応が、「聞いてはいけないこと=よくないこと」にしてしまっているのでは、とも考えられます。
本来なら、同和教育によって「地域に誇り」をもつ子どもたちを育てることで、また地域との確かなつながりによる「立場宣言」などで、堂々と「ここが部落である」と子どもたちの疑問に答えるべきです。
しかし、解放学級の閉鎖、学校の同和教育の衰退により、保護者・地域と話し合う機会、つまりは地域とのつながりが切れてしまっている学校が多いように聞きます。
この現状で、子どもたちの疑問にどう答えるべきでしょうか。また、校区に部落のない学校でも同様に、慎重に答えてほしいです。
そこで次のように答えてはどうでしょうか。
・「どこに部落があるんですか」という質問がよくあります。また、うちに帰ってから、おうちの人に聞こうとする人がいてもおかしくないですね。
・どこかを教えることは、そこに住んでいる人たちの個人情報を大切にしないことになるから、知りたいというだけでは教えられません。
・その情報によって、いまなお差別に苦しむ人たちがさらに苦しめられたり、差別が繰り返されたりすることもあるからです。
・その差別を一緒になくしていこうというときは、どこかを知ったほうがいいこともあります。差別をなくすために、一緒に取り組んでくれるとうれしいです。
・おうちの人に聞こうという場合も同じように考えてほしいです。差別をなくすために、取り組みたいという気もちがあることを、まず自分に問いかけ、そのことをきちんとおうちの人に告げてからにしてほしいです。
学習の状況、また子どもたちや地域の実態に応じて、それぞれの教員また学校で、毅然と子どもたちに答えることが大切です。それによって、「知ろうとする=差別をなくそうとする」子どもたちを育てていきましょう。
坂本研二