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コラム⑧「気にしない」から「つながる」へ

 部落出身の生徒が、人権学習の時間などで、自ら部落出身であることを表明する場面があります。
 たとえば、人権学習の時間があまりに低調で、否定的な発言があったり、同じクラスの生徒たちの無関心な態度が見られるときは、「自分の悔しい気持ちをわかってもらいたい。もっとみんなに考えてほしい」という思いをこめて。また逆に、クラスの生徒が部落問題を真剣に考え、差別をなくそうという意欲の強さが感じられるときは、「このクラスの、このメンバーになら話せる」という信頼をもって。
 部落出身であることを表明した場合、「そんなの気にしない」「関係ない」という反応があったとします。悪意をもっての言葉ではなく、ほとんどの場合、「私たちの友人関係は変わらない」「なにも人間関係に支障をきたすものではない」という思いをこめてのものでしょう。
 実際、部落出身であることを表明するということは、心震える行為なのです。心だけでなく、声も体も震える。とてつもない勇気をふりしぼって行われることなのです。友人との関係がぎくしゃくしてしまうかもしれない、友人に嫌われるのではないか、クラスのなかで孤立してしまうのではないかという心配、怖さ……それに対して、「関係ない」「気にしない」という言葉を聞いたとき、表明した側はいったいどんな思いをもつのでしょうか。「そうか、気にしてないんだ」と一瞬うれしい……でも「関係ない」「気にしない」ってなに? 自分がここまで思いを込めて言ったこと、自分の存在を賭して表明したことに「関係ない」はないだろう、関係はおおありなんだよという切なさ、悲しみ、あるいは怒り……。
 「関係ない」「気にしない」は、関係性を断つニュアンスを含んでいないでしょうか。
 出身を表明した側は、自分が部落出身であることを互いの関係に位置づけて、より親密な、より深い信頼関係を築きたいという願いをもっているのです。だとすれば、「関係ない」「気にしない」ではなく、どうして話そうという気持ちになったのか、その思いに耳を傾け互いに考えたこと、感じたことをぶつけ合うことが大切ではないでしょうか。
 そのような、プラスに転じていくべき緊張感のある場面を生み出すには、人権学習の時間のみならず、日ごろの学校生活のさまざまな場面で、相手をまるごと受けとめよう、受けとめたいという雰囲気、素地がかたちづくられている必要があるでしょう。そのような雰囲気が集団にあれば、「自分の大切なことを明らかにしても大丈夫」と思える信頼感が生まれくるはずです。
 「気にしない」「関係ない」ではなく、より深く「つながりあう」関係を、人権を尊ぶ集団、クラスの中心に位置づけたいものです。

井上浩義