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コラム⑦地域教材を活用しよう


 被差別部落の人たちを「差別をされてきた人々」と表現することがあります。えた、非人と呼ばれ「差別されてきた人々」と聞いたとき、子どもたちはどんな印象をもつでしょうか。「差別されてかわいそうだな」とか「しんどかったんじゃないかな」という同情心や、「差別って厳しかっただろうな」というようなイメージしかもたないのではないのではないでしょうか。
 一方で、庭園造りで「天下一」と呼ばれた善阿弥や、『解体新書』を学ぶときに出てくる、腑分けをした「虎松のおじいさん」など、歴史に残る文化に被差別民が関わり、担ってきたということが語られます。逆に言うと、そういう優れた技術や実績がなければ、差別の対象になっても仕方がないのでしょうか。
 被差別部落には農村部落も漁村部落もあり、千世帯以上の大きな部落もあれば、数戸という小さな部落もあります。皮革産業のような、いわゆる「部落産業」といわれる仕事を担っている部落もあれば、そういった産業をまったくもたない部落もあります。そして、そこには被差別部落の数だけ、独自の生活があり、歴史があるのです。
 差別を受けながらも、人々はたくましく生きてきました。生きるために想像力を発揮し、さまざまな仕事をつくりだしてきました。そして、日々の生活の中で踊りや村芝居など、楽しみも見いだしながら前向きに生活を営んできたのです。それは、部落の人たちの生き抜く力であり、したたかさであると思います。「差別をされてきた人々」ではなく、「差別と闘いながら生き抜いてきた人々」なのです。
 被差別部落の人たちは、その時代の主な生産産業から排除されましたが、違う形で生き方を作り上げてきました。それはすごいことだと思うのです。
 その姿は、かわいそうでもなければ、哀れまれる対象でもありません。差別の中で生きるのは、生半可なことではありません。生きることそのものが闘いでした。むしろその力強い生き様こそ、我々が伝えていかなければならないことではないでしょうか。
 かつて「解放学級」では、地域教材を活用したさまざまな活動がありました。子どもたちは地域の人に話を聞いて、劇にして文化祭などで発表しました。自分がいま住んでいる地域の歴史を掘り起こし、生き様を知ることで、部落問題は身近になり、他人事ではなく、過去のことでもない、どこか知らない、遠いところのできごとでもなくなるはずです。
 先生方にお願いです。「地域教材」と構えるのではなく「ここの人たちはどのように暮らしてきたのかな」というささやかな疑問から、部落の人たちに話を聞くことから始めてください。意気込んで訪ねると、ひいてしまう人がいるかもしれません。ふらりと訪ねて「今度学校でこんなことをしようと思いますが、どう思いますか?」というように、気軽に意見を聞いてみるのはいかがでしょうか。まずは、誰かとつながることが大事です。地域の人とつながることで、先生方も自分の言葉で、部落問題を語れるのではないでしょうか。

細田勉