部落とは、本文で(Ⅱ―1)詳述したように、周囲から部落であるとみなされた集落(地区)です。近世の被差別身分であった穢多身分や非人身分の人たちの集住地が部落となっているという理解が一般的ですが、穢多・非人以外にも、近世の藩独自の賤民身分であった茶筅(ちゃせん)(福山藩)や鉢屋(はちや)(松江藩、鳥取藩)などの集落、さらには、近世では身分制度のうえで平人(百姓や町人)とされた夙(しゅく)(宿(しゅく))や声聞師(しょうもじ)などの中世賤民の系譜をひく集落、これらのなかにも部落になっているものがあります。また、なっていないところもあります。
こうした部落とされた集落のうち、同和対策事業の実施対象となったものが同和地区です。全国水平社創立宣言に「吾々がエタであることを誇り得る時が来たのだ」とあるように、部落解放運動は穢多村の系譜をひく部落が中心となって進められてきました。そのため、穢多系の部落の多くは同和地区の指定を受けましたが、夙や声聞師などの系譜をひく部落は「自分たちは穢多ではない」と、同和地区の指定を拒みました。また、穢多系の部落のなかにも、同和地区の指定を受けることは、「ここは部落だ」と周囲に宣言することと同じで、その結果、差別が厳しくなるという理由で、地区指定を受けないケースも多くみられました。このように、部落には同和地区の指定を受けた部落と、受けなかった部落があるのです。
1993年の国の調査によると、同和地区は36府県に4,442地区を数えます。同和地区は同和対策事業の実施対象とされた部落なので、その数はわかりますが、部落は周囲から部落とみなされた集落(地域)なので、その数は正確にはわかりません。そのため、同和地区に指定されていない部落がどれほどあるのかも、よくわからないのです。
石元清英