部落に近親結婚が多いという誤解は根強いといえます。筆者が担当している部落問題の授業を受けている大学生を対象としたアンケート調査では、半数を超える学生が部落では近親結婚が多く行われていると思っていることがわかりました。しかし、現在も、そして過去にさかのぼっても、周辺の地域に比べて、部落で近親結婚が多い(多かった)という事実はありません。
江戸時代は身分制社会なので、結婚は同じ身分同士で行われました。百姓は百姓身分同士と結婚をしたのと同様、穢多身分であった人は、同じ穢多身分の人と結婚をしました。しかし、同じ穢多身分同士で結婚をしたからといって、それが近親結婚であったわけではありません。結婚で人が移動する範囲を通婚圏といいますが、穢多身分の通婚圏は非常に広かったということがわかっています。図は泉州の南王子村という穢多村に結婚のために入ってきた人がどこから来たのかを示したものです。これによると、同じ泉州だけではなく、河内や摂津、そして紀州や大和、山城などの遠隔地の穢多村から結婚で南王子村に人が入ってきていることがわかります。この当時の百姓村の通婚圏は、現在の中学校区ほどの広さで、遠くても郡を出るということはありませんでした。それゆえ、穢多村の通婚圏は非常に広かったといえます。こうした広い通婚圏を可能にしたのは、皮革の流通をとおして形成された穢多村の広いネットワークでした。
現在は、本文でふれたように、部落外出身者との結婚が非常に多くなっています。それゆえ、過去も現在も、部落で近親結婚が多かった(多い)ということはないのです。
石元清英