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コラム⑮少数者に対するステレオタイプ


 当たり前のことですが、どんな人種や民族であろうとも、さまざまな人がいます。それは特定の地域に住む人たちやその出身者についても同じことです。さらには、同一の職業や宗教などの集団にしても、その構成員がすべてにわたって一様であることなど、ありえません。温和な人もいれば、怒りっぽい人、呑気な人もいれば、せっかちな人もいます。スポーツが好きな人や苦手な人、下品な人や上品な人、さまざまな人がいて当然です。こうした多様な人たちの集合体(人種、民族、地域、職業、宗教などのそれぞれに属する人たち)を認識する際に、その社会において広く受け入れられている固定化・単純化されたイメージに依拠して理解しようとする傾向がみられます。たとえば、「黒人は知的水準が低い」「ユダヤ人は金銭に汚く、冷血漢である」「大阪人はがめつい」「部落はこわい」。こうした一面的なイメージをステレオタイプといいます。
 以前は事件報道などで、在日韓国・朝鮮人が容疑者として逮捕された場合、「田中裕行こと徐裕行」というように、通名と本名を並べることが多くありました(徐裕行というのは、オウム真理教の幹部であった村井秀夫を刺殺した容疑者です)。こうした報道に接した人たちは、在日韓国・朝鮮人が逮捕されたという事実が強く印象に残り、在日韓国・朝鮮人には犯罪者が多いと思ってしまうのです。いくつかの事例だけで、あたかもそのマイノリティグループ全体の特徴であるかのようにみなしてしまう。これが少数者に対するステレオタイプです。
 仮の話ですが、ある中国人旅行者が電車に乗る際に、列の割り込みをしたとします。すると、周囲の人たちは「中国人はマナーが悪い」と思ってしまうのです。これが日本人による割り込みだと、「困った人がいる」と言うだけで、だれも「日本人はマナーが悪い」とは思いません。日本における中国人旅行者という少数者だから、こうしたレッテルを貼られてしまうのです。
 このようなステレオタイプが偏見や差別につながるのです。他者との共生とは、互いに理解し合い、尊重し合うことです。ステレオタイプは、この理解を妨げることになります。少数者集団それぞれの多様なありようを理解することが大事なのです。



石元清英