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コラム⑬「部落差別はもうなくなっているのだから、取り組まなくていい」という当事者に出会ったときの対応は?


「部落問題学習をしてほしくない」という当事者の声はけっして少なくありません。その際、必ずといってよいほど挙げられる理由が、「部落差別はもうなくなっている」というものです。
 このような声を耳にしたときはけっして否定せず、まずは「あなたはそう思われるのですね」などと、いったん受け止めることが肝要です。「それは間違ってますよ」「まだまだ差別はありますよ」などと即座にやり返してしまうと、その人はけっしてあなたに本音を語らなくなるでしょう(ただし同意してしまうのではありませんので、その点にはご注意ください)。
 きちんと受け止めることができたなら、そこからがスタートです。以下、三点に絞って対応をまとめていきます。
一点目として、まず学習の意義を伝えてみましょう。部落差別がなくなったのだとしたら(実際はなくなっていませんが)、今後、同じような差別の課題が起こらないよう、そのための教訓としても部落問題学習を進める意義があることを強調するのです。戦争のない世の中をつくるためには、やはり過去の戦争について学習する必要があるのと同じです。戦争を知らない世代ほど、戦争のことを知る、勉強する必要があるはずです。
 二点目も、学習についてです。「部落問題学習に取り組まなくていい」と言う当事者の多くは、部落問題を学習することが差別を拡大・再生産するのではないかと考えています。ですから、学習が差別をなくすことにつながることを伝えていきましょう。部落差別がかつてほどの厳しさを伴わなくなってきたのも、同和対策事業や部落問題学習の成果です。
 三点目は、発言者の抱く不安に応えるものです。「部落問題学習に取り組まなくていい」と考えている当事者は、やはりいまでも差別があって、現状ではそれが寝ているように見えはするものの、いつ何どき、目覚めるかもしれない、という差別への不安を抱いていることがほとんどです。もし本当に差別がなくなっているのであれば、部落問題学習をしたとしても問題など起こるはずがありません。だからこそ、その不安を受け止め、その不安を軽減するためにも教員であるあなたがともに行動する、という意思を伝えてほしいのです。すなわち、当事者を孤立させない学級づくりや子どもどうしのネットワークづくりなど、あなたのできることを伝えていきましょう。そして「知らない」ことは「差別がない」ことと同義ではなく、「差別をなくす」という具体的な行動には、決してつながらないことを伝えてみましょう。
 いずれにせよ、当事者の抱える不安を忘れずに対応していきましょう。同じ「寝た子を起こすな」であっても非当事者のそれと当事者のそれには、大きな隔たりが存在します。その隔たりにこそ、差別の現実があるのです。

宮前千雅子